2016年10月22日土曜日

10月22日被害者家庭訪問 合計本日 8軒

■通算三軒目の家庭訪問




 名前   グエン・ヴァン・ティン 1975年生まれ 41歳 男性 寝たきり

 母親も息子も一回り小さくなった。数カ月前に息子が死にかけた。窓も締め切り。施設長が窓を開けた。

 母と二人暮らし。三兄弟。上に二人の女の子。正常。近所に住んでいる。結婚している。

 1979年父死去。母一人で育ててきた。

 あまり意識がない。反応があまりない。目もあまり見えない。食事は母が介助。あまり良く聞こえない? 反応はある。寝たきり。トイレはいけない。そのままで排泄。オムツはしていない。小さく刻んで食べさせている。

 体は清拭のみ。意識があまりはっきりしないので、何をしても甲斐がないが、時に暴れることもあり。

 ブラウン管のテレビが有り。衛星放送を受診?

 母は、1942年生まれ。家から離れられない。あとの面倒は、母の兄弟が面倒を見てくれるかもしれない。姉がいる。

 毎月 130万ドン 援助金あり

 ポカリスエットを500ミリのペットボトルに溶解して使用方法を教えた。下痢をしたり風邪をひいたりして、口から食事ができない時には、これを飲まして欲しい、と伝える。

 新谷さんが、介護用品の使い方を教授。三時間ごとの体位変換も指示するも母ができるかどうか。左肘の褥瘡が痛そう。介護用のマットを寄贈。

 介護用品、医薬品、支援金寄贈


■四軒目の家庭訪問



 施設長カム・ティ・ツゥイさんのお宅を訪問しました。

 被害者名 グェン・ヴァン・クイさん(息子) 1985年生まれ
 息子さんは筋肉が低形成の枯葉剤被害者としてのADSLのように次第に筋力が低下している
 血漿交換(?) 血友病のモノクローナル交代 点滴。USA/Los Angels Baxtor 社製
 antihemophilic factor Human M factor 点滴している。母は医者。

 定期的に病院で実施。脈が乱れてしまう。輸血をしている?

 骨髄機能が低下?⇒1/10 一回 月三回 1,000万ドンかかる。x3

 歩くのが困難。食事は可能。トイレは杖を使って自分で行ける。

 父親(夫) 施設で一緒に働いている。兵隊として、いまも頭に弾丸が残っている。
「心」、「忍」の額あり。二人で月600万ドン 軍人恩給

 米に対する感情 ⇒ アメリカには、今では恨みはない。製薬会社に対する損害賠償で戦う。
 息子さんの交流仲間はあまりいない。病院での友達だけ。

 奥さんは看護師さんだった。点滴に来てくれた時に知り合った。

 奥さんはツゥイさんの施設で働いている。

 一人息子さんとお孫さん



■五軒目の家庭訪問



 名前 ベ・トゥ・ハー 1985年生まれ  女性

 生後から肢体不自由児 明るい始終笑っている

 食事の介助 母親 綺麗に身の回りを整頓している。椅子に座って排便。

 夜は垂れ流し状態 母が髪を切る 母親は明るい性格

 三階の部屋にはおんぶして運ぶ。地域の枯葉剤被害者仲間が支援に来てくれている 

 120万ドン 枯葉剤被害者としての支援金

 母はハインさん 60歳

 ジアンさん 父 従軍 枯葉剤浴びる 63歳 視力低下 


■六軒目の家庭訪問




 被害者名 ディン・ティー・トゥオン

 昨年も訪問した。

 1981年 生まれ 36歳 女の子 一人 中学生 11歳 日曜日のみ休校

 14歳の時にバクザン市でオランダの医師から右膝手術を受けた。

 注文服 オーダーメイドの服を作成

 既製服が多くなってきたので売上も減ってきた。

 子どもは異常無い 

 三輪のバイクで買物に行けるようになった

 天候で左膝が痛くなることあり。今のところ悪化はなし。

 通院していない。


 母のみ現存。同居している。父2004年死去。父が枯葉剤被害者としての死去。



■七軒目の家庭訪問





 被害者男子 チァン・アイン・ファン 1980年生まれ 36歳

 母 レ・チィー・チエン 1950年生まれ    

 父 チャン・ヴァン・フン 70歳 

 時々、テンカンの発作を起こす 食事の世話も必要 寝たきり

 クワンチの戦場で5年従軍 枯葉剤を浴びた 体中にそう痒

 若い頃からバレーボールで鍛えた。軍人精神で生きている。

 枯葉剤の散布は森の鳥達が感知して騒ぐ⇒穴をほって濡れタオルをして頭を隠したりした。避けようとはしたが影響を知らなかった。

 三人の子どもたち 長女(1977年生まれ)は元気 長女の子に掻痒症 

 長男 知恵遅れ?、普通に生活している。近所に住んでいる

 末っ子 この子 寝たきり 

 2000年の枯葉剤の集団検診は、娘さんの結婚問題があり受けなかった。

 毎月 130万ドン 父も167万ドン 支援金

 町内の仲間から応援してもらっている。

 日本の大学のグループが応援に来てくれた。私達が二度目。


■八軒目の家庭訪問





 娘 障害児 ディン・ティー・ズオン 1976年生まれ 40歳 しきりに手をつかむ

 ロッキングチェアに寝たきり。食べることは片手でできる。今は家にいるのみ

 神経系の薬、パーキンソン病の薬を内服

 トイレ、体の清拭介助が大変。

 一人っ子、一人娘、姉は早くに亡くなった。枯葉剤被害者認定開始前

 父 ディン・イー・ニオップ 85歳

 中西部で従軍 12年間 1950年から1962年まで従軍 

 母 チャン・ティー・ヴェ 81歳 元気




■十軒目の家庭訪問





 綺麗な家。洗練された家電。豊かな印象。

 青年 グェン・フー・トゥー 1972年生まれ、44歳

 少し知能低下 精神不安定

 15−16歳ころから 精神不安定になり自分を時にコントロールできなく

 統合失調症?

 毎日薬を服用 体は問題ない 毎月 40万ドン 精神病に対して?

 妹二人 結婚している。心臓病 あるも普通に生活

 父 75歳 母 65歳
 
 ふたりとも中西部で従軍 父のみ枯葉剤を浴びる

 当時は枯葉剤とは知らなかった。単なる除草剤だと思っていた

 全身に浴びた ⇒ 池で体を洗った

 父の病気 DM 手足がしびれる

 父のみ枯葉剤被害者として認定 ⇒ 枯葉剤被害者として毎月 160万ドン


 この家は娘さんの嫁ぎ先 一緒に暮らしている



2016年10月21日金曜日

10月21日(金曜日)施設訪問と被害者家庭訪問





バクザン省の職業訓練センター






 所長のツゥイさんと歓談しました。ツゥイさんは私より 6歳若い、1959 年生まれ。20年余り軍医として勤務した後、2012年に、この施設を立ち上げました。

 ご自身、枯葉剤被害者の子を持つ母として、生涯の決算として立ち上げたのでしょう。今は施設の近くの自宅に住み、ほとんど24時間365日施設のための生活を送っている、とのことでした。

 とても魅力的な方でした。国からの援助がないということは、大変なことでしょうから、経済面での自立で頭が痛い毎日に違いありません。

■一軒目の家庭訪問




 15:00 バクザン省VAVA会長同席
 名前 グエン ティー ヅン
 1987年生まれ 女子 29歳
 兄弟は三人 末っ子 二歳 診断受け枯葉剤のため 悪化はなし 脳性麻痺の状態。家で面倒みている 車椅子で時々外出。身の回りの面倒を全て見ている。
 兄弟は正常
 両親共に従軍 枯葉剤 クランチ省で7年間 両親は肝臓病など
 国からは毎月 120万ドン
 両親は毎月100万ドン ずつ
 家は立派 妹夫婦の家

 1959年生まれ 所長さん 20年間 軍医していた
 

■二軒目の家庭訪問




 名前 ファ厶 ティー ボン 女性 1970年生まれ 両親共に死去
 46歳 生後から 言葉はできず
 話していることは理解出来る
 歩けない 食事介助必要
 外出できない トイレは這って行く
 体の清拭が一番大変
 血の繋がりない親代わりの方が面倒をみている
 他の5人兄弟 正常
 1933年生まれの父
 ファン バン ツゥク
 クワンチ省で従軍 枯葉剤障害で死去 癌で死亡 69歳で死去
 収入 毎月 130マンドン



★★今日はこれまで訪問したことのなかった新しい施設を訪問しました。バクザン省職業訓練センターです。

 所長さんはKhong Thi Thuyさん。 国からの援助は一切受けずに民間だけで運営しています。12,000平方メートルの敷地を友人でもあり、施設の副所長さんが寄付してくれました。入所しているのは、1歳から46歳まで。

 開設されたのは2012年04月23日。職業訓練として刺繍、絵画、竹細工などの訓練をしています。

 この周辺では年間200人ほど第三世代障害児が病院で生まれているとのこと。

 所長のツゥイさんの弟さんも枯葉剤の被害者であり、ご自身の息子さんも筋肉が減少していく障害を持っている。三人目はフランスに住んでいる。

 職員は12名 全員ボランティア 給料払えない。外科医 フェンさんが常駐。職員の皆様はボランティアでかかわっています。

 




2016年10月20日木曜日

2016年ベトナム支援の旅

2016年10月20日(木曜日)




今年の参加メンバーです。合計8名でした。


■今年は昨年の5名から3名参加者が増えました。残念だったのは、大釜会長が体調を崩されて、急遽不参加になったことです。

 さて、これからバスに乗ってバクザン省のホテルまで2時間の旅です。

2016年3月14日月曜日

2015年支援の旅写真展のお知らせ

■昨年行った支援の旅の様子を写した、写真展の予定が決まりました。

2016年6月23日から26日まで、沼津千本プラザで開催することになりました。以下はその案内です。



一人でも多くの方が来館されて、現実のベトナムを知ってほしい、と思っています。

沼津千本プラザの場所は、検索「千本プラザ」で可能です。便利になりました。以前でしたら案内の地図を付けないと、案内になりませんでしたが、いまではその必要はなくなりました。
 

2015年10月24日土曜日

10月24日 終日被害者宅を訪問


■四軒目の家庭


ティン・ティ・ロアさんのお宅




 被害者のお名前は、リン・ティ・スオンさん、34歳。父は肝臓病のため2004年に死去。母は1956年生まれ。従軍期間は不明。

 兄弟二人。弟さんのみ。

 スオンさんは歩き始めて、しばらくしてから歩きにくくなった。左脚が痛い。左膝の関節が逆にも曲がる。座ったあとでは膝が痛い。最近デンマークの医師が来て手術を受けた。右はその手術のおかげで普通に見える。右膝は痛くない。

 左は手術は難しい、とのこと。未婚。10歳の娘あり。

 田んぼは母だけで耕す。弟は出稼ぎ。スオンさんはミシンで裁縫の仕事をしている。一日、5万ドンの収入。

 年間600キロ収穫。年間 1,5000円ほどの収入になる。

 脚の異常は、病院から診断を受けて父の従軍の影響だろう、と言われている。

 月に国から 131万ドンの援助がある。





 手術を受けていない左膝は、写真のように逆方向にも曲がる。痛みが辛い。



■五軒目の家庭


ファン・バン・ボンさんのお宅



■この家庭の訪問には、VAVA ( 枯葉剤被害者協会 ) や地域の人民委員会の方が7人も来られました。テレビカメラも持ち込まれ地域のテレビで放映されたのでしょうか。

 人民委員会の副会長が来られ挨拶をされました。副会長のお話では、

 バクザン省インゾン地区(人口 19万)だけで3,000名の被害者がいる。

 戦争が終わっても被害者は絶えていない。被害者の状況を、ぜひ日本に伝えて欲しい。

 こうした話は初めて聞きました。





■5番目の娘さんが障害者。31歳。成長不良、知的障害のため子供のよう。

 母親が全ての面倒をみている。食事時も取れない。彼女だけ国からの認定支援あり。





■ファン・バン・ボンさん(父)

 1942年生まれ。中部で従軍。1975年に帰省。8の子供。二人死亡。奥さんと一番下の娘さん家族で生活。6人生存。

 5番目の娘さんが障害者。31歳。成長不良。子供のよう。知的障害。母親が全てをみている。食事時も取れない。彼女だけ国からの認定支援あり。130万ドン。その他の子には援助なし。認定なし。

 一番下の息子。脚に痛み。三番目の娘。目が悪い。通院中。

 父は特に障害はない。しびれ程度。直接浴びたことはない。国から月160万ドンの補助。

 従軍中は枯葉剤の認識なし。霧のようなものが巻かれていたことはあり。木々が枯れていた。

 父の枯葉剤に対しての思い。友達はたくさん亡くなっている。生きて帰れただけ自分はラッキーだと思っている。

 国からの援助を期待している。にくい気持ちもあったが、今は毎日の生活だけを考えている。泣きながら語った。




■六軒目の家庭


お宅





■ 三人で暮らしている。母と子供二人。上の娘(父親は不明。騙された? 子供あり。19歳の子供あり)。1972年生まれ。下の息子。1975年生まれ。出稼ぎ中。

 子ども達の症状は、神経系の疾患。末っ子は出稼ぎ(健在、障害なし)。娘さん。子供は三人。

 父は軍で運転手。1960−70年まで従軍。2015年6月死去。枯葉剤のための皮膚がんの一種。

 母は脳梗塞で動けない。ベッドで安静中。2010年に脳梗塞。左半身の麻痺。頭痛。DM、HTあり。医療費は必要。

 一人あたり子ども達、月70万ドン。母への援助なし。

 父の分として、亡くなってからは月50万ドンあり。家族で月あたり合計190万ドン。医療費は無料。

 女性二人がベッドで休んでいる。もう一人の男の子がベッドで座っている。仏壇は今までで一番粗末。

 子ども達二人の生活は、仕事はできない。学校は行っていない。家事はできる。娘が家事をしている。

 液晶テレビが放送中。扇風機が回っている。居間一間のみ。




■九軒目の家庭


ネエン・バン・ティンさんのお宅





■障害者 ヌエン・バン・ティンさん 1978年生まれ  一人っ子

 父 1941年生まれ 1965−71年まで従軍 帰省 ナパーム弾の被害も受ける。 体調悪く1979年に死亡。

 母 ヅン・ディ・フー 1942年生まれ。関節痛、高血圧、頭痛で辛い。

 田んぼのみ 母が農作業。月 123万ドンの支援。母が一人で家事、農作業、子供の世話をしている。

 人民委員会の補助で3年前に家を立て直した(旧兵士会の募金で 3,500万ドン補助)。牛一頭貰ったが飼えずに売却。

 子豚 二頭を飼っている。田んぼからは一年に二作で600キロの収穫。半分しか手もとに残らない。年に15,000円程度の収入にしかならない。豚は売っても4割程度の手取り。


●息子さんの病状

 息子さんは生まれてから、そのまま動けず。寝たきり。前は通院もしていたが、今は連れていけない。全て母がしてあげる。食事もできない。言葉もできない。体位の変換もさせている。

 母の年金はなし。夫の年金もなし。

 枯葉剤の被害と聞いて、お父さんのためだろう、と思った。

 母が死んだら息子さんは受け入れ先がない。親戚もいるが金銭的に余裕が無い。

 地域の人が助けている。





●今回の訪問で一番悲惨な被害者家族でした。母一人子一人。地域の人の援助があるものの、母は休む暇なく毎日を送っています。

 あるだけの援助金を手渡してきました。少しでも生活の足しになれば、とみんなで決めました。来年も訪問できることを祈って家を後にしました。




2015年10月23日金曜日

バクザン省ハンディキャップ・チルドレン村にて

■今年もやって来ました。多くの子ども達が出迎えてくれました。今年は施設長さんが出張でお会いすることができませんでした。副施設長さんがお話をしてくれました。




施設の皆さんとともに。支援物質を贈りました。


 子ども達は明るく元気です。障害を抱え、決して十分な教育環境とは言えない中で、毎日を送っています。50名弱の子ども達は、この施設に寄宿生活をしながら教育や訓練を受けています。


 


出迎えてくれた子ども達。幸あれと願うばかりでした。




講堂で音楽療法を実施。爽やかな気候で助かりました。



私は別室で眼科検診を実施



被害者宅の家庭訪問



■一軒目の家庭


ラン・ティン・トゥオンさんのお宅




 ラン・ティン・トゥオンさんのお宅。真ん中の母親がトゥオンさん。

 お父さんの体調は、帰省後は骨と内蔵に痛みがあった。肝臓の病気で亡くなった。南から帰省後に1969年 結婚。子ども達 5人。障害児は三番目の子。従軍したのは、ベトナム中部ダナンの山間部で1年ほど従軍。今でも重度汚染地域。

 娘さん、35歳。今は普通の生活。

 将来のことを訊くと、母親は泣き出した。息子さんが生きてくれて嬉しい。

 村長さんが言うには、村の人たちは母親が大変なのを分かっているので、みんなで助けあっている。村は112世帯。村民数は412人。枯葉剤の被害者は、2−3軒ほかにもある。認定家族は、ここだけ。

 収入源は現在お米だけ。700平米の農地だけ。二毛作。年に600キロ収穫。余った中から年間 1万5千円 程度の現金になる。野菜、鶏を飼って生活の糧に。娘さんからの援助は難しい。




 座っているのが、76年生まれの障害を持った息子さん。枯葉剤の影響を認めてもらい、月 100万ドンの援助が政府からある。

 息子さんの医療費は、無料。言葉はわからない。喋れない。体も洗うこともできない。食事は自分でできる。行政の調査で枯葉剤の影響と判明した。自傷行為がある。他人を攻撃することはない。




■二軒目の家庭


ウェン・ティ・ロクさんのお宅




 母親はウェン・ティ・ロクさん。現在 60歳。三人の子供あり。障害児は一番下息子さん。ダウン症あり? 娘二人は正常。

 1954年生まれの父。脳梗塞のため39歳で亡くなった。1972−81年まで軍隊で働く。中部の高原地帯で従軍。その際に枯葉剤の被害を受けた模様。中部は激戦地で枯葉剤の散布も激しかった。

 86年息子を産んだ。その息子は現在29歳。生まれて間もなくから障害が出現。精神疾患のため障害。障害が一軒目の家の子供より重い。

 先月娘さんのお金でテレビとエアコンを購入。クーラーは電気代が高いので、あまり使わない。息子さんの症状は、変化なし。排便も、後始末は母親がしている。食事も自分では、できない。母親が給餌している。

 娘さんは、結婚されている。孫は健康。障害なし。

 息子と二人で生活。収穫は、お米だけ。コメは食べてしまう。田の面積は前の家の倍ある。農作業は近所の人に助けてもらう。機械化は去年から稲刈り機械化済み。機械を借りて農作業。だが道幅の問題などで手作業になりがち。

 娘さんがハノイで働き仕送り。テレビ、冷蔵庫を送ってくれた。

 政府からの援助は月130万ドン。


■三軒目の家庭


ティン・ティ・ロアさんのお宅




 障害者は、ティン・ティ・ロアンさん。1976年生まれ、女性。頭痛がひどい。40歳の兄の息子と同居。兄には二人(21歳、15歳)の息子。21歳の息子は家を出ている。

 父と母は、すでに死去。いつ死んだかもわからない。生きていれば68歳ほど。村長さんが父と一緒に従軍。

 兄も精神障害あり。頭痛がひどい。話がはっきりしない。兄は体調が次第に悪くなっている。

 兄の嫁と15歳の息子が働ける。あとは働けない。

 兄は家事はできるが、仕事はできない。

 経済的には田んぼからの収入だけ。一トン取れる。

 支援金としては、政府から本人分として131万ドン。兄79万ドンの支援金。








2015年10月22日木曜日

2015年支援の旅に出発

■今年も昨年に続いて支援の旅を決行しました。



羽田空港にて


 今年は昨年に引き続いて、10月に訪問することにしました。いままで八月の猛暑の中を訪問していたのですが、10月に訪れてみると何と快適で活動が楽かを実感したからです。


 昨年と同様に木曜日の診療が終わって、逃げるように原駅に向かいました。三島から新幹線に乗り、品川で京浜急行に乗り換え、お馴染みの羽田空港駅で下車。空港で待ち合わせました。

 大釜芙美子さん、新谷文子さん、金原さん、竹内さん、そして私の合計5名の旅です。

 大釜さんが搭乗券の手配をしてくれました。感謝、感謝です。

 さて何度もでかけてい入るのですが、無事に活動を終えることができるかどうか、いつも不安な旅立ちです。同時に、どんな被害者宅を訪れることができるのか、楽しみもあります。


■16時30分発のベトナム航空便でハノイへ向かいました。6時間かかりますからハノイ ノイバイ国際空港に到着すると、夜更けとなります。



ノイバイ国際空港にて


 空港は国際線ターミナルを新築したようで、まるで今までとは別の空港のようでした。タインさん、ホンさんとは一年ぶりの再会です。今年もお世話になります。

 さっそくバスに乗り込んでバクザン省のホテルへ直行です。